宇井純セレクション[2]
公害に第三者はない
- 四六判上製
- 384頁
- 2800円+税
- ISBN 978-4-7877-1402-2
- 2014.07.31発行
- [ 在庫あり ]
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書評・紹介
- 若松英輔氏評「犠牲者への連帯の決意」(「読売新聞」2014年11月2日)
- 若松英輔氏評「歴史と同時代を踏みしめる」(「京都新聞」2014年12月28日、ほか時事通信配信)
- 若松英輔氏「100分 de 名著『苦海浄土』」
- 松岡瑛理氏評(「週刊朝日」2014年10月3日号)
- 友澤悠季氏「ひもとく 人間としての言葉求め続ける」(「朝日新聞」2016年12月18日)
- 「朝日新聞」2014年7月27日
- 「東京新聞」「中日新聞」2014年8月10日
- 「沖縄タイムス」2014年10月21日、「琉球新報」2014年10月23日、ほか各紙(共同通信配信)
- 最首悟氏評(「図書新聞」2014年10月4日号)
- 「公明新聞」2014年11月24日
紹介文
公害とのたたかいに生涯をささげた環境学者・宇井純。公害を生んだ思想を鋭く問うた厖大な著作から110本強を厳選して、全3巻に収録。私たちが直面している困難な問題に向き合う際に、つねに参照されるべき切実な問いかけを、次世代へ橋渡しする。
公害はどこへ行ったか――歴史に学び、現場を歩き、いまも公害を生み出し続ける日本社会の歪みを問う。
■村井吉敬氏「わたしにとって宇井さんは、公害や環境問題を考えるときの原点であり、灯台のような存在だった」
「第三者を名乗るものは必ずといってよいほど加害者の代弁をして来た」、
「日本の資本主義の歴史は公害の歴史といってもよい」――。
歴史に学び、現場を歩き、いまも公害を生み出し続ける日本社会の歪みを問う。
公害との闘いに生きた環境学者・宇井純は、新聞・雑誌から市民運動のミニコミまで、さまざまな媒体に膨大な量の原稿を書き、精力的に発信を続けた。本セレクションは、その足跡と思想の全体像を全3巻にまとめ、現代そして将来にわたって、私たちが直面する種々の問題の解決に取り組む際につねに参照すべき書として編まれたものである。
「われわれの誤りは、第三者などあり得ない現実の状況に対して、科学・技術が中立であり得ると思いこんでしまったことではないか。」
「加害者企業と被害者住民の間に圧倒的な力の差がある公害で、第三者が双方の言い分を公平に聞くなどとは、初めから現状を是認し、現実にあり得ない虚構の立場をまるで存在するかのように民衆に思いこませる犯罪的な行為でしかない。」
「公害というのは当事者になった人が一番詳しくなる。実は被害者が一番よく知っている、住民が一番よく知っている。」
目次
原点としての宇井純さん――村井吉敬
I 公害は終わっていない
“公"と“私"
公害被害者の論理(抄)
汚染文明への告発
コラム ppm
ことばへの憎しみ
他人事として公害を捉えていないか
公害に第三者はない
総論・〈公害〉をどう把えるのか
公害はなくなったか
公害は終わっていない
公害はどこへ行ったか
II 公害の歴史から何を学ぶか
時間の深淵を越えて(抄)―田中正造と足尾鉱毒事件
知られざる公害事件――日立煙害の教訓
足元の現実からの出発
地球環境時代における足尾鉱毒事件の意味
誌上講座公害輸出
発展途上国は日本の公害の歴史から何を学ぶか
公害輸出と海外派兵
歴史に学ぶ予防原則
III 住民運動の現場を歩く
開発ファシズムと自由民権運動
海と陸の民の連帯をもとめて
地域エゴイズムのすすめ
住民運動と学習
住民運動の前進のために――石油危機と住民運動
浦戸湾を守る人びと
障害者の勉強会とのつきあいのはじまり
高知パルプ生コン事件
草の根の科学者たちの実践活動
ネットワーク運動の創造を
IV 公害とたたかい続けた人びと
細川一博士を偲ぶ
寒村から学ぶもの
荒畑寒村先生を追慕して誓う
寒村翁と自主講座「公害原論」
水俣から南北問題まで
労作を墓碑銘に終らせぬため
飯島伸子氏への弔辞
東海林吉郎氏と飯島伸子氏を偲ぶ
イリイチの訃報に接して
スローライフの先駆者、松下竜一氏へ
解説宇井純の言葉の複数性――友澤悠季