韓国文学セレクション『舎弟たちの世界史』が「海外ミステリ通信」で紹介されました
隔月15日配信のメールマガジン「海外ミステリ通信」2020年9月号(第141号)の〈注目の邦訳新刊レビュー〉にて、韓国文学セレクション『舎弟たちの世界史』(イ・ギホ作、小西直子訳)の書評を掲載していただきました。
◎杉山まどか氏評
《軍事政権下、無実の罪で逮捕されたタクシー運転手を巡る見事な群像劇》
メールマガジン「海外ミステリ通信」
https://www.mag2.com/m/0000075213?l=cav0ebca8c
同通信編集部のご厚意により、ご提供いただいた書評全文をご紹介いたします。
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『舎弟たちの世界史』 “CHA-NAM-DEUL-EUI SE-GYE-SA”
イ・ギホ/小西直子訳
新泉社/2020.08.20発行 2200円(税別)
ISBN: 9784787720238
《軍事政権下、無実の罪で逮捕されたタクシー運転手を巡る見事な群像劇》
1980年代初め、全斗煥大統領率いる軍事政権下の韓国では赤狩りが横行していた。
だが地方都市で暮らす29歳のタクシー運転手ナ・ボンマンはそんな物騒なこととは無
縁で毎日まじめに働いていた。勤務先のタクシー会社から独立して個人タクシーの運
転手となり、恋人のキム・スニと結婚することを夢見て、地道に暮らしていた。
ところがある朝、走行中の自転車に軽く接触したときからナ・ボンマンの運命は変
わり始める。無実の罪で政治犯として逮捕された彼は、拷問を受けて虚偽の自白をさ
せられる。そのうえ情報機関である国家安全企画部の捜査官の偽装工作に協力すべく、
彼をタクシーに乗せていく途中で事故を起こし、逃亡生活を余儀なくされてしまう。
この物語で主人公が不当に逮捕されるのは1982年で、全斗煥が大統領に就任したあ
との設定になっている。だが全斗煥は大統領になる前の将軍時代からすでに民主化運
動を弾圧していた。その最たるものが光州事件であり、この事件は小説や映画の題材
にもなっている。光州事件がテーマの優れた韓国映画に『タクシー運転手 約束は海
を越えて』(2017年)がある。この映画も本書も主人公が政治には無関心なタクシー
運転手である点は同じだが、政治的な事件に巻き込まれたあとの展開は大きく異なる。
本書で最も気の毒なのはナ・ボンマンに違いない。これほどかわいそうなヒーロー
はめったにいない。そのいっぽう本書で憎んでも余りあるアンチ・ヒーローといえば
強権政治を行う大統領や、政治事件を扱うというよりもでっち上げる情報機関の捜査
官や警察官だろう。
しかし著者のイ・ギホのユーモラスな筆致で浮かび上がってくるのは、実直なヒー
ローの運のなさだけではない。決して正当化できないとはいえ、本人にとっては切実
な事情があり、誰かの〈舎弟〉として兄貴分の顔色を常にうかがうアンチ・ヒーロー
の情けない姿もリアルに描かれている。この物語の中では独裁者の全斗煥も米国政府
の〈舎弟〉であるため、話は韓国にとどまらず〈世界史〉の様相を帯びてくる。
誰にでも事情はあるのだから、自分のうっぷんを晴らすために正義を振りかざして
はいけないのではないか。本書を読んでいるとそんなふうにも考えさせられる。それ
でもなお誰にでも事情があるという言葉で、公の地位にある者たちの犯罪や犯罪すれ
すれの行為を許すわけにはいかないと強く感じるのは、ナ・ボンマンが逮捕されてか
ら30年近く経った最後の場面だ。かわいそうだとばかり思っていたナ・ボンマンがた
だそれだけの人物ではなかったのではないかとはっとさせられ、ある種のカタルシス
を得られる。
40年ほど前の外国の苦い歴史として片づけるわけにはいかないのではないか、似た
ような話が日本にもあるのではないかと思うと、この物語の奥深さや温かみがいっそ
う胸に迫ってくる。
(杉山まどか)
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