学校で育むアナキズム

子どもは小さなアナキスト! 「子どもに任せる」。だから規律・支配は必要ない。

学校で育むアナキズム

  • 池田 賢市/著
  • 四六判
  • 248頁
  • 2000円+税
  • ISBN 978-4-7877-2211-9
  • 2023.04.12発行
  • [ 在庫あり ]
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書評・紹介

紹介文

新自由主義の猛威によって、わたしたちは「従属・服従」することに慣れてしまい、あろうことか、そのことを「自由」だと思い込むようになっています。支配されることに快感さえ覚えるようになっているのかもしれません。こうした錯覚は、学校現場で特に顕著です。新自由主義の下、学校では「管理」「秩序」が重んじられ、それがまるで教育を受ける権利を保障する条件のようにイメージされています。その結果、強固な学校権力が確立され、その支配の下では「考えない」ことがいいこととされてしまうのです。
こうした現状に対して、「何かおかしい」「声を上げなければ」と感じる人たちの輪も、じわじわ広がってきているように思います。それは、ブラック校則への反発であったり、部活の体罰問題への告発であったり、という形で表面化しているのではないでしょうか。
私たちは、常に同じ状態でいることはありません。さまざまな関係性の中で、少しずつ変化しています。一方で、「個を確立すること」が近代社会の基本とされており、学校はこの近代的「個人」を養成する場として位置づけられています。この相反する状態が、子どもたちと学校の間に齟齬を生じさせるのです。その一つが「不登校」なのでしょう。
「子どもに任せる」。これがアナキズムと教育を結びつける核心部分です。大切なのは相互に信頼し合うこと。そのために、日頃から「おしゃべり」をして、「縦の命令系統」ではなく、「横のつながり」を作っていく必要があります。静かな教室や職員室からは何も生み出されないからです。
学校教育がアナキズムの視点でどのように変わりうるのか、考えていきます。

目次

はじめに

序章
国家を頼らない社会
規制緩和の罠
アナキズムとの出会い
信頼関係と前提とする社会
アナキズムと「個人」
本来、子どもはアナキスト

第1章 国家観・社会観
地図か順路か
地図が描けるとは
自由と国家の関係
人から調整力を奪う信号機
国と社会の関係
「国家なき社会」のイメージ
相互扶助のある社会
進化論からのメッセージ

第2章 人間観・個人観
フランス革命の個人観
「自由な個人」と権利論
民法が想定する個人
個人の浮上と「ロビンソン的人間」
自分探しと自己肯定感の問題
不寛容な社会が生む不安
不自由な個人を生み出した近代化
「個人」の不安と自由
分解されるアイデンティティ

第3章 学校の秩序形成作用
学校における子どもの「あり方」
校則の見直し実践の危険性
出席停止という秩序回復
教室の中での権力関係の形成
「集団行動」の勘違い
学校の「規則性」
友達関係の強要
学校が求めるはみ出しのない「多様性」
牽制し合う生存権と教育権
「個別最適化」をどう理解するか

第4章 アナキズムによる学校再生
「そろっていること」の必要性
エントロピー増大の法則
「社会的存在」を付与するのが学校か
学校の流動性
興ざめの「学級目標」
子どもに任せる
「従属性」を高める教育
学校は社会ではない
学校がつくった虚構の社会
「そろっていないこと」から始まる
わがままから始まる「共生」

終章 解放とアナキズム
アナキズム的変革への反論
「パン」によるつながり
学校は何をしなければならないか
アナーキーな職員室に
横のつながり
「おしゃべり」なアナキズム
アナキズムの魅力

おわりに

参照文献
索引

出版社からのコメント

アナキズム=無政府主義、と考える日本人はまだまだ多いでしょう。学校でそう教えているのですから、仕方ありません。けれど本書では、アナキズムを本来の意味である「権力支配を排除した相互扶助」と捉え、この思想が実践できるのは学校ではないか、という仮定の下、アナキズムの視点によって学校教育がどのように変わりうるのかを考察しました。
また本書は、『学びの本質を解きほぐす』(2021年、新泉社)で提起した「学び」のあり方を具体的にどう展開していくのか、という問いへの回答として、執筆しました。併せて読んでいただければ、「アナキズムがどのように教育観と相性がいいかがより分かりやすくなる」でしょう。
この本に登場する猫のイラストは、著者・池田先生が飼っている猫たちをモデルにしています。それぞれの猫たちがアナーキーに生活する「猫的生き方」はまさに平和そのものであるそうです。
権力や支配のない世界でどのように秩序が保たれるのか、と不安に思う方にこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

著者紹介

池田 賢市(イケダ・ケンイチ)

1962年東京都足立区生まれ。筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得中退後、盛岡大学および中央学院大学での講師・助教授を経て、現在、中央大学(文学部教育学専攻)教授。博士(教育学)。大学では、教育制度学・教育行政学などを担当。専門は、フランスにおける移民の子どもへの教育政策および障害児教育制度改革の検討。1993~94年、フランスの国立教育研究所(INRP、在パリ)に籍を置き、学校訪問などをしながら移民の子どもへの教育保障のあり方について調査・研究。共生や人権をキータームとして研究を進めている。著書として、『フランスの移民と学校教育』(単著、明石書店)、『人の移動とエスニシティ ――越境する他者と共生する社会に向けて』(共編著、明石書店)、『教育格差』(共編著、現代書館)、『法教育は何をめざすのか』(編著、アドバンテージサーバー)、『「特別の教科 道徳」ってなんだ?』(共著、現代書館)など。

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