
近代日本の巨人・土倉庄三郎の生涯
山林王
- 四六判
- 320頁
- 2500円+税
- ISBN 978-4-7877-2210-2
- 2023.03.25発行
- [ 在庫あり ]
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書評・紹介
紹介文
吉野の山中に、明治の元勲が頼るほどの財力を持った山林王がいた!
土倉庄三郎。100年先を見すえて生涯1800万本の樹木を植え、
手にした富は社会のために惜しげも無く使い切った。
いまこそ、私たちが知るべき近代日本の巨人である――河合 敦(歴史作家)
明治の初め、吉野山の桜を全部買い取った男がいた。彼の名は土倉庄三郎。吉野から伊勢まで懸崖の山々を抜ける道を独力で開き、全国の山を緑で覆うべく造林を推し進め、自由民権運動に参画し、同志社など多くの学校を資金面で支えることに力を注いだ。また女子教育こそが国力を伸ばすとして日本女子大学校(現・日本女子大学)の創設を支援し、自らの娘もアメリカに留学させた。そのほか手がけた偉業を数え上げたらきりがない。吉野川の源流部・川上村に居を構え、近代日本の礎づくりに邁進した豪商三井と並ぶ財力を持った山林王であった。ところが現在、土倉庄三郎の名前は歴史から消え、彼の事績は忘れられつつある。
土倉家に起きた悲劇とは何なのか。そして吉野の山中からどんな世界を見ていたのか。彼の足跡を追いながら、幕末から明治、そして大正にかけて日本がたどった道のりを森からの視点で探っていく。
出版社からのコメント
明治という時代は多くの偉人を生みました。
明治維新の立役者だけでなく、近年、TVドラマや小説で取り上げられて有名になった人もいます。例えば、渋沢栄一、新島襄、五代友厚、大倉喜八郎、岩崎弥太郎・・・・・・。しかし、そこに土倉庄三郎の名前が挙がることは、ほぼありません。それはなぜなのでしょうか。
1843年、奈良県吉野の奥山に位置する川上村に生を受けた庄三郎は、森づくりを通して、近代日本の礎づくりに尽力しました。
当時は、豪商三井家とも肩を並べるほどの財力を持っていたことから、板垣退助の洋行費用を出したり、新島襄はじめ、多くの運動家や志ある者に資金を提供したり、朝鮮からの亡命政治家を援助したり・・・・・・と、そのパトロンぶりは驚くばかりです。
さらには吉野と三重を結ぶ道路を作り吉野林業の発展に尽力しただけでなく、日本中の山を植林するなど、日本の近代林業の基礎を作った人でもあります。「日本の林学の父」とも言われる林学者の本多静六が、林業を学びにしばしば庄三郎のもとを訪れてもいました。
そして、明治の元勲・山縣有朋から「樹喜王」という称号までもらったほどの人物でした。
そんな偉人の名前がなぜ歴史上から消えてしまったのでしょうか。土倉家を襲った悲劇とは何だったのでしょうか。
森林ジャーナリストの田中淳夫さんが土倉庄三郎の足跡を追いかけ始めてから、かれこれ17年になります。最初の本『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』を書いてから、田中さんのもとには次々と土倉庄三郎に関する情報が寄せられました。それに伴い新たな資料も発見され、さらには子孫の人たちとつながることもできました。
前著刊行から10年が経ち、そうした新しい情報や写真を盛り込んで全面的に書き直したのが本書です。歴史作家・歴史研究家の河合敦先生からも「いまこそ、私たちが知るべき近代日本の巨人である」という帯文をいただきました。本書が土倉庄三郎の名前を知るきっかけになればと思います。