新版 四六判上判
400頁
2500円+税
ISBN978-4-7877-0914-1
谷中村事件
ある野人の記録・田中正造伝

大鹿 卓/著
石牟礼道子/解題


【目次】

第一章
正造谷中村に入る/東京の同情者/谷中村事件の発端

第二章
村の幹部派と正義派/正造白仁知事に説く/利島村石井清蔵の知事謀殺未遂投獄/買収反対の演説会/風呂場の懐述

第三章
村民堤防修築費に悩む/川辺利島義捐人夫の来援/修築工事の竣工/正義派から脱落者の続出/土木吏たちの出没

第四章
平民社の人々/森の中の買収対策相談会/総代陳情に上京す/東京の焼討事件

第五章
左部の失踪/知事官邸の密談/集団移住はじまる/那須野の移住民/島田宅に於ける正造と木下の対話/哀れな凱旋勇士

第六章
相つぐ移住と人心の動揺/正造急水留工事に奔走/廃村の諮問案を否決す/急水留工事の破壊命令/正造と村の子供たち/新紀元社の講演

第七章
土木吏急水留を破壊す/板倉沼雷電神社の協議会/島田兄弟の苦衷と正造/正造谷中村の地主となる/共有地競売の公示と正造の予戒令/鈴木管掌村長を面罵

第八章
栃木警察署の正造/木下宅の対話/白仁知事瀦水地の無効を認む/残留民結束の契約/正造隠居の風説に憤慨す/新任の久保田知事に説く

第九章
島田宅の寝物語/公判廷の叱咤/毒土埋没作業を激励/樋門を閉塞し漁具を盗む/土地名義人を外部に求む/川鍋の変心

第十章
川鍋問題の追求/土地収用法適用の認定/夜陰に婦女を拘引/陳情のため村民上京す/足尾銅山の暴動/遠藤の拘留と栄蔵の召喚

第十一章
宗三の試練/島田三郎に質問書を依頼/谷中惨状の撮影/島田の質問演説/正造と木下の対話/官吏侮辱事件の控訴公判/ブース大将と会見

第十二章
麦取畦畔工事の続行/雪解水の侵入/土地収用法取り消の訴願/第二回公判/演説会と谷中村視察

第十三章
正造の苦慮/強制執行の命令出る/正造に無罪の判決/乞食論/村民を軟禁して買収を強要/木下の谷中村訪問

第十四章
残留民の最後の集会/生死の誓い/宗三の有志歴訪

第十五章
強制破壊はじまる/村民の抵抗と正造の怒号/松右衛門、長輔の悲劇/熊吉宅の破壊と村民の憤激

第十六章
政五郎庭前の応酬/水野リウの剛気/島田三郎の視察/雷雨中の仮小屋慰問/仙弥の人権抗議/人夫震えあがる/強制破壊終る

第十七章
仮小屋生活/豪雨中の覚悟/事件に対する世論/救済会の有志訴訟を慫慂/大洪水来る/正造の感慨

あとがき

こころ燐にそまる日に――石牟礼道子

田中正造略年譜


明治時代、足尾銅山鉱毒対策という大義名分で遊水地として沈められようとしていた谷中村に移り住み、強制撤去後も現場で闘いつづけた田中正造。谷中村での活動を膨大な原資料をもとに克明に描いた名作を、新組で待望の復刻。『渡良瀬川』の続篇。

【著者紹介】
大鹿卓(おおしか・たく)
1898年、愛知県海東郡津島町生まれ。三歳の時に一家で東京に移り住み、東京府立一中を経て、秋田鉱山専門学校卒業。その後、京都帝国大学経済学部を中退し、1922年に東京府立第八高女の化学教師になる(35年に退職)。1924年、兄の金子光晴らとともに雑誌「風景画」を創刊。「抒情詩」「日本詩人」などに詩を発表。26年、詩集『兵隊』を刊行。33年、太宰治らと同人誌「海豹」を発刊。39年、尾崎士郎らと「文芸日本」を創刊。41年、田中正造を題材にした『渡良瀬川』を刊行。翌年、新潮賞を受賞。48年、同作品を改稿し再版。57年、『谷中村事件』を刊行。1959年没。

石牟礼道子(いしむれ・みちこ)
1927年、熊本県天草生まれ。出生直後、水俣に移り住み、1969年、『苦海浄土 わが水俣病』を刊行。水俣のことばをもちい、患者の視点から水俣病を描き切る。74年に『天の魚』を、76年に『椿の海の記』を刊行し、水俣病を描いた三部作を完成させる。